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ただのサスペンスじゃない!映画『セルフレス』で人生を考えてみる
研究所によれば、それは培養されたもの。当然、新品の「はず」。新品の身体をダミアンはエンジョイします、マークという別人として。 ビフォアの自分から有り余る財産も受け継ぎ、悠々自適の暮らし。ダミアンとしては死んだので、ビフォアの自分の家族や友人は失いましたが、それでいい「はず」でした。なにしろ娘にはひどく嫌われ、彼女は父親を否定するような人生を選んできたのですから。でも、ふたつの「はず」がおかしい。心が虚しい。なにより、研究所で処方された副作用をおさえる薬を飲まないと、マークの脳に、ダミアンが持っていない記憶が浮上してきます。この身体や脳は本当に新品なのか。上書きされる前の別のデータ、別の人生が前の別のデータ、別の人生があるのでは?
ダミアンとしては娘に拒まれたのに、マークの前には彼を父親として慕う可愛らしい女の子があらわれます。いったいどういうことなのか。その秘密を探るうち、何が大切なのか、強欲な不動産王のときにはないがしろにしていた数々のことに彼の思いが及ぶようになって。意識の転送で得られる永遠の命。何度も生き直すことができるなら、幸せになれるのか。重ねてきた失敗や悲しみは、やり直せば癒されるのか。忌まわしく思える失敗や悲しみ、 こじれてしまった人とのつながり、その全部が自分自身ではないのか。そんな自己や人生についての問いかけを、研究所の秘密を探るサスペンスとアクションの奥に抱えた物語。スペイン人兄弟による脚本は、映画製作前から高い評価を得ていたそうですが、サスペンスとのバランスを保ちながら展開する心のドラマにひきこまれます。
※『andGIRL』2016年9月号